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2006年8月11日 (金)

コンニャクの本

Konnyaku写真は、夏のコンニャク畑。ここは上州、コンニャクの国。

『こんにゃくの中の日本史』(武内孝夫/講談社現代新書)という本がとても面白かった。
群馬県はいわずと知れたコンニャクの大産地だというのに(と書いて、ふと思ったのだが、もしかして、群馬がコンニャクイモやコンニャク粉の生産で圧倒的なシェアを占めていることを、他県の人はあまり知らなかったりするのだろうか?)、私はコンニャクの歴史についてほとんど何も知らなかったなと気づかされた。県の農業試験場で比較的近年に作出されたコンニャクイモの新品種の名前くらいは知っていたけれど……。

江戸後期の水戸藩とコンニャクの関係がそんなに密接なものだったとは(水戸藩の改革派(尊攘派)の資金源はコンニャクだったという)。
そもそも、コンニャクの、産業としての歴史なんて深く考えたこともなかった。群馬が産地となる以前にどこが産地だったかも、全く知らなかった。茨城、福島の時代があって、その後、広島、岡山か……ふむふむ、今とはけっこう違うのだな。

風船爆弾(ふ号兵器)とコンニャク糊の関係は、何となく記憶の片隅にあった。というのは、私の母校(高校)が戦時中に風船爆弾製作に協力した(勤労動員)ということで、在校中、ことあるごとに当時の苦労について語られたからだ。
風まかせの風船爆弾は、敗戦へ一直線の日本を象徴するような頼りない存在だったというような話を聞かされ、別段疑問も感じず「ふーん、そうなのか」と思っていたが、なんのなんの、じつは驚くべきハイテク兵器だったのではないか。今回、この本を読んで認識が改まった。ものごとに素直すぎるのは、やはり、よくない。

そのほかこの本では、コンニャクに栄養があることを証明した実験の話、日本軍のメニューに用いられたコンニャクのこと、戦後の本県を支えた産業の一つである軽石ブロック製造とコンニャク生産の関係、下仁田の公害「コンニャクぜんそく」のことなど、興味深い話題が次々繰り出されてくる。

ところで、著者の武内さんは、群馬県南牧村の段々畑に感動してコンニャクに興味を持ったそうだが、確かにあのすさまじい光景は、見た人にさまざまな思いをもたらすだろう。
本文中でも触れられていた馬坂(まさか)集落の段々畑を初めて実際に目にしたときには、私も言葉を失った。
あの段々畑が内包するところの、成立までの営みに含まれる時間と労力の遥かさも、この世に出現したその光景の持つ美しさも、ヘタな比喩など寄せつけない力と存在感に満ちている。
……が、南牧を象徴するあの風景が、かつて乱高下を繰り返したコンニャク相場の投機性によって生み出されたものだとは。人間のすることは面白い。


余談だが。
上信電鉄下仁田駅からほど近い常盤館という旅館では、コンニャクづくしのコース料理が食べられる(食事のみも可)。
数年前に、ワクワクする気持ち半分、でも所詮コンニャクだしという気持ち半分で食べにいったが、予想よりおいしく、飽きずに食べられた。
ここを読んでいるみなさんも、あちら方面にゆかれることがあったら、ぜひ。

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