2012年2月18日 (土)

やがてどんな変化が…?

イクメンとやらいう流行があるが。
個人的には半分賛成、半分反対だ。

男性が子育てに積極的に関わるのは大賛成。男性たちの人生も豊かになるし、女性たちにとっても(家族構成や社会の変化などで大きくなっていた)子育ての負担が軽くなるのはありがたい。
ただ、女性がすべきことにまで男性が手を出すのは、やはり変な気がする。
『ジェンダーとセックスをいっしょくたにしない』ということは、人間が動物である以上、いつでも重要であろうと思うのだ。
男性と女性の脳は、やはり違うから。
それは、家族である男性と真剣に一緒に暮らしてみれば、実感できるではないか。
明らかに、見えているものが違う。見ているものが違う。察する能力が違う。得意なことが違う。ほかにもいろいろ違う。
(個人差はもちろんあるが)基本的に男性に特徴的なことというのは、はっきり言って、赤ん坊と直接関わって育てることに向いている能力ではないと思う。
であれば、子育てにおける父親の役割は、授乳やおむつ替えや寝かしつけではないのだろう。それ以外の面で、女性に不足している能力を補う形で子育て参加してもらうほうがいいはずだ。(シングル家庭においては、このあたりのことをうまく問題解消する必要があるとは思う。それはシングル家庭の是非とは無関係だ)
そもそも、女性と男性は、子育てに限らず、お互いの不足する能力を補って暮らすようにできているのだろうと思う。それを無視して、両者が同じことを同じようにできるようにする必要はないのではないか。

ちょっとうろ覚えだが、確か久保田カヨ子さんや養老孟司さんは、イクメンに関して上記と同様の趣旨のことを述べておられたはず。
自分の場合は、実体験からやはり同じ結論になった。
尤も、現状でもイクメンの人々の中にはいろんな考え方の人が入り交じっているのだろう。それをひとくくりに『イクメン』と呼ぶことが、そもそも乱暴なのかも知れない。

とにもかくにも、子育て参加する男性が格好悪いと看做される世の中でなくなってきたことは、おそらくいいことなんだろう。
父親にも手をかけてもらって育った子どもたちが多数派になったとき、日本の社会はどんな変化を見せるのか。それも気になる。

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2012年1月 9日 (月)

陰鬱だけど、でも…

シネマテークたかさきで、『ブリューゲルの動く絵』を見てきた。
もちろん明るい映画だと思って見にいったわけではないのだが、チラシからイメージしていたよりもさらに陰鬱な映画だった。
セリフも少ないし、笑顔なんてほとんど映らない。
見終わったあとにも釈然としない気分が残る(なに一つ解決されていないので。もちろん、解決されることが常に善であり落としどころである、なんて、私だってこの歳になって思っていやしないが)。
それでも、引き込まれて見てしまった。聖書の物語(過去)と十六世紀のフランドル(映画内における現在)とがクロスオーバーする形なので、真剣に見ていないと見落としたり置いてきぼりにされたりしそうで……。そういう意味で頭を使う映画で、そのおもしろさがあった。
とは言え、真剣に見ていても分からないことも多かったのだが、基本的に自分には西洋史とキリスト教の基礎知識がなさ過ぎるので、それがために「?」と思うことも多々あったのだろうと思う。

ところで。
シネマテークたかさきでは、この映画は昨年の大晦日から二週間の上映だが、初日とか三が日に見てしまった人はどんな思いだったろう?
大晦日やら正月早々に、あまり縁起がいい感じではないような……(苦笑)。

全体としては、陰鬱ながらも、映像が予想以上に美しかったことと、カメラワークがおもしろかったことを踏まえて、個人的には七十五点というところか。
絵画と実写の融合も、全然不自然ではなかった。効果がうまい。
あと、文芸作品(?)にしては、すごくお金がかかっていそうだなあと思った。
『THE MILL AND THE CROSS』が原題で、見終えたあとなら、なるほどこのタイトルのほうがしっくりくる。それぞれの単語にいくつもの意味を持たせているのだろうな、と。

この先自分は、ブリューゲルの『十字架を担うキリスト』の絵を見るたびに、この映画のことを思い出すのだろうなあ。

あ。
これはネタバレになるが、後半でブリューゲルが時間を止めるシーン、大人や比較的年齢のいった子どもたちは懸命に止まっているものの、動物と幼い子どもたちはそうもいかず(笑)。「まあ、そうだよねー」と思いながら見ていた。
あのシーン、きっと一発撮りだろうな? 撮影、たいへんだったのではないだろうか。

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2011年11月 1日 (火)

久々に映画館へ

先日、シネマテークたかさきにて『アトムの足音が聞こえる』を見てきた。
予告編などから想像していたのとはちょっと違う展開だったが、なかなか興味深かった。

同行者は「う~~ん……簡潔に感想の述べにくい映画だね」と言っていた。その理由は、どうやら、はっきりしないストーリー(流れと言うべきか)と、ところどころの不親切な作り(監督の故意かも知れないが)にあるようだ。

だが、私が思うに、そもそもテレビのドキュメンタリー番組のようにすっきり整った筋書きがあるものは、どこかに(あるいはいたるところに)“作り話”があるはずで、現実をそのまま追っていったら、そんなに思うようにドラマティックには――腑に落ちる感が出るようなものには、ならないはずだ。
その前提で見れば、この作品だって、“うまくいきすぎ”な部分が感じられると思う。尤も、この程度には整っていないと見ていて苦痛なものになってしまうであろうから、これはこれで落としどころとして適切ではないかとも思う。

ナレーションの内容が独特で、微妙に気になったが(いい意味でも悪い意味でも)、野宮真貴さんの声と話し方にだいぶ助けられていると思った。

しがないフリーランサーの超個人的な感想としては、「お金出してくれる人に、あのくらい思い切り好き勝手が言えたら気持ちいいだろうなあ」ということ(笑)。
こんなことしたらギャラもらえないかも、とか、仕事がこなくなるかも、なんてみみっちいことを考えないからこその態度なのだろうが。天才のまねは、凡人にはできない。

ところで。
映画館で、近日上映作品のチラシを見ていて、今回一番気になったのは『ブリューゲルの動く絵』。
これ見たい!
年末から公開なので、忘れないようにしなければ。

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2011年6月11日 (土)

思うままに書きたい

しばらく前に、『ひぐれのお客』(安房直子/福音館)と、『詩が生まれるとき』(新川和江/みすず書房)を買った。
それぞれ、私の尊敬してやまない童話作家と詩人の著作。

読んで、無性に悲しくなってしまった。
「ああ、日本語はこういうふうにていねいに美しく使えるのだ」と改めて実感して。
「最近の自分は、ライター仕事でもラノベ仕事でも、言葉を“消費”するような使い方しかしていないじゃないか」と思って。

本当はもっと、言葉そのものを大事にした作品を書きたい欲求がある。
自分の言葉への感性を貫き通すような作品を書きたい望みがある。

だが、現状で、仕事として文章を書くうえでは、その主張は通らない。
クライアントやディレクターや編集者相手に突っ張ってみても、自分が傷つくばかりで。
(そう、時にはわずかばかり突っ張ってみるのだが、それでもしばらく立ち直れないくらい傷ついてみたりする自分は、見かけによらず弱っちいというか、繊細というか……)

メシのたねとしての書き仕事と表現への情熱とは切り離さないといけないのだ、と、そのたびに思い知るのだが。
にもかかわらず、やはりまた(懲りずに)こういうことで引っかかるというのは、情熱がないまま書くことは自分にはできないから、ということなのか。

あ、違うか。
いや、違うというか、それもあるだろうが、もう一つ、自分の思うように書いたものに対してだれかに共感してほしいんだ、私は。
きっとそうだ。

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2011年5月11日 (水)

ペディキュアの意味とは

マニキュアは滅多にしないのに、ペディキュアは真冬以外の時期ずっとちゃんとしている自分。
人に「なんで?」と問われて、「そう言えばなんでなんだろう?」ときちんと考察してみたら、おもしろい心性に気づいた。

まず、前提として、私はサンダルやレギンスのおしゃれを楽しみたい。
で。
サンダルもレギンスも、素足で履いて(穿いて)こそのアイテムである、というのが次。
だが、ここで問題が。
若い女性の素足はぴちぴちして、なにも施さずとも(ムダ毛処理はしてほしいけど)それだけで美しい。
しかし、二十代も後半になってくると、若さのマジックは影をひそめ、ただ脚をむき出しにするということに罪悪感が出てくる。大人の女性の脚は、ストッキングを穿いてこそ、なんとか美しさを保っていられるのだ。大人の女性として、脚に責任と自覚を持つなら、ストッキングを穿かねばならない!
つまり、ここで葛藤が生じることになる。
素足でのおしゃれは楽しみたいが、若く美しい脚は失ってしまった。かと言って、サンダルのときにストッキングは穿きたくないし、レギンスだって穿きたい。
では、どうすればよいのか?
ということで。
ここで理想と現実に折り合いを付ける方法が、私にとってのペディキュアなのだ。
「あまり美しくない素足を出してはいますが、大人の女性としてきちんと脚に気を使っていますよ。ほら、ムダ毛処理もしているし、ペディキュアもきちんと塗ってるでしょう?」という主張。
やや乱暴にまとめるならば、ペディキュアを塗ることでストッキングの代わりにしているのだ。
もちろん、自己満足には違いないが。
でも、一応、そういうことなのである。

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